野生のアイリス ルイーズ・グリュック 2

お前たちはわたしの

多様性の現れであって、

独自の存在などではない。

p66『真夏』

………この神のターン、読むたびに笑っちゃう

コーマック・マッカーシー 錯綜する暴力と倫理 山口和彦 2

それどころか、物語が徐々に明らかにしていくのは、自らを「善」や「正義」として肯定するために、二人を排除すべき「他者」として必要としてしまう社会や世界のあり方なのだ。p59『アウターダーク』

いかに彼がグロテスクに見えようとも、否、グロテスクな「誰からも愛されない猿」(二一)のような人間だからこそ、読者と何も変わらない人間であるというアクロバティックな論理を提示する。p77『チャイルド・オブ・ゴッド』

シートンは『シートン動物記』のまえがきで「ここに書かれている物語は本当のことだからこそみな悲劇的なのです。すべての動物は悲劇的な死を迎えるものです」と述べている p173『越境』

ここで日本近代文学や近代的自我の起源を論じた柄谷行人の議論を思い起こしてもいいだろう。柄谷は「風景がいったん成立すると、その起源は忘れさられる。それは、はじめから外的に存在する客観物のようにみえる。ところが、客観物なるものは、むしろ風景のなかで成立したのである。主観あるいは自己もまた同様である。主観(主体)・客観(客体)という認識論的な場は、『風景』において成立したのである。つまりはじめからあるのではなく、『風景』のなかで派生してきたのだ」(柄谷行人「日本近代文学の起源」[講談社文芸文庫、二〇〇九年] 四六)。p165『すべての美しい馬』